こんにちは、お久しぶりです。
今回は霊柩車にまつわる都市伝説について考察していきます。皆さん霊柩車と聞いてどんな事を思い浮かべるでしょうか。私はターミネーター3の武器をめちゃくちゃ積んだ霊柩車を思い浮かべます。
さあそんな霊柩車の都市伝説とは
霊柩車が通りかかったら親指を隠さないと親の死に目に会えない
というものです。
親の死に目に会えないシリーズは他に夜に爪を切ると親の死に目に会えないというものがありますね。
この都市伝説、私の住んでいる地方では親の死に目に会えないという内容ですが地方によって様々なバリエーションがあり
- 親が早く亡くなる又は不幸になる
- 親族が早く亡くなる又は不幸になる
- 自分に不幸がになる
等があるようです。
親の死に目に会えないというのがスタンダードみたいですね。
そこでまず気になるのは親の死に目とは??
ということです。
一般的に親の死に目に会うというのは親が息を引き取る際に側に寄り添いその最期を看取る
という事らしいです。
死は誰にでも平等に訪れます。それは親という自分にとってかけがえのない存在も例外ではありません。多くの場合誰しもが親の死を経験せざるを得ないでしょう。そんな中で親の死を看取るということはとても大切なことだと思います。
しかし学校や仕事といった都合や遠方等の地理的条件など親の死を看取る事ができないことも多々あると思います。親が急にぽっくりと逝ってしまうということもあるでしょう。そういった点を考えるとむしろ親の死に目に会うという事はとても恵まれているのではないでしょうか。
こう考えるとこの都市伝説はそこまで怖くないと思えてしまいます。親の死という避けられない出来事においてその死を看取る事ができる人も居れば見とれない人も沢山いると思います。霊柩車うんぬんは関係なくしょうがないという結論に至るのではないでしょうか。
しかし
親の死に目に会えない
には他の解釈もあるらしいのです。
僕は仕事や用事、タイミングや地理的条件などで親の死を看取る事ができないという解釈をしていましたが
親の死に目に会えない=自分が親より早く死ぬ
という解釈をする人もいるらしいのです!!
目からウロコでした。確かに自分が親より早く死ねば必然的に親の死に目には会えません。
生きてさえいれば仕事を休んででも何より先にも親の死を看取る事を優先できるでしょう。
しかし親より早く死んでしまえばそれすらできません。どうあがいても死に目に会うことができないのです。恐らくこの解釈の方が正しいのだと思います。怖いし
なぜ霊柩車なのか???
これは単純な理由でしょう。
霊柩車(れいきゅうしゃ)とは、葬送において遺体を移動させるために用いられる車両。イギリスの霊柩馬車に起源があるとされ、馬車、自動車のほか、鉄道車両にも見られる。
日本では神道や仏教の建物様式を模した宮型霊柩車と呼ばれる独特の霊柩自動車が用いられている[1]。「柩」が常用漢字に含まれていないため、日本の法令上は霊きゅう自動車と表記される。
Wikipediaより引用
遺体を乗せているからにほかなりません。
遺体には古くから穢れがあると言われています。その為遺体を乗せた霊柩車は縁起が悪いと言われているのではないでしょうか。
なぜ親指を隠すのか??
ではなぜ霊柩車を見かけたら親指を隠さなければならないのでしょうか?なぜよりによって親指なのでしょうか?
調べてみると
親指には古来より魂が出入りすると信じられていた
そうです。そう言われてみると5本ある指の中でも親指は特に重要な気がしてきます。
この言い伝えのように霊柩車から霊が親指へ入ってくるのを防ぐ為に親指を隠すのは納得できますね。
私は単純に親指だから親の死に目に会えないと思っていました。小指だったら子供の死に目に会えない??そんな言い伝えは無いと思います。
結論
- 霊柩車は遺体(死者)を乗せている為縁起が悪い
- 親指は古くから魂が入ってくる場所と考えられていた
- だから通りがかった霊柩車から死者の魂が親指に入ってこない為に親指を隠すようになった
なぜ親の死に目に会えないのかは分かりませんが私の仮説である
親指だから親の死に目に会えない小指なら子供の死に目に会えない
は結構自信があります。何より親の死に目に会えない=自分が親より早く死ぬというのは怖過ぎです。