前々々回歌の都市伝説である「おお、スザンナ」についての記事を書かせて頂きましたが、今回は日本の童謡「シャボン玉」についてかいていこうとおもいます。
「シャボン玉」とは?
「シャボン玉」は中山晋平作曲、野口雨情作詞の知る人ぞ知る名曲です。また作詞作曲のお二方は童謡におけるゴールデンコンビなんだそうです。
シャボン玉の歌詞は
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えたシャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
とあり一見シャボン玉について歌った曲のようです。しかしこの歌詞に鎮魂の意味が込められているという都市伝説があります。
「シャボン玉」のどこが鎮魂歌なのか?
1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった[3]。当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2~3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。雨情は後に生まれた娘・恒子も亡くしている。当時、2歳。1924年(大正13年)9月のことである。
そしてある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である[3]。しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとも言われている[4]。
しかしその他にも、時期的な観点から実子ではなく親類の子への鎮魂歌であるという説や、特定のモデルはなく子どもの死一般を悼んだものとする説、特に鎮魂の意は無いという説など、諸説存在する。なお、雨情自身が子どもの死との関連について触れている資料は一切無い。現状では鎮魂歌説を含めいずれの説も確たる根拠を欠いていると言える。(ウィキペディアより引用)
このようにウィキペディアで詳しくは解説されている通り鎮魂歌という説は確かにあるものの根拠はないみたいです。
しかし「シャボン玉」というすぐに消えてしまうものと当時死亡率が高かった子供の命はどちらもとても儚いものであり、またシャボン玉が屋根まで飛んで壊れて消えたという歌詞は大人になれなかった子供を連想させます。また産まれてすぐにという表現もシャボン玉を擬人化しているように感じられます。
結論
真偽は定かではないが死を連想させる歌詞がミステリアス。そして日本人なら誰でも知っているメジャーな童謡なので都市伝説としてのウケもいい!また野口雨情の子供のエピソードも都市伝説の真実味を増している。